セックスをする男女はもう友達じゃない

ここ最近の孤独の原因ははっきりしている。男に二股を掛けられそうになった挙げ句、その男は多分本命彼女と結婚するからだ。

第一印象から決めてました、と言うにはあまりに普通の第一印象だった。全然セックス出来る顔だけど、多分この人は付き合ってない女とセックスはしなそうだからナシ。メンヘラクソビッチは男に交際を求めない。必要なのは私に対する性欲と不干渉。

ところがどっこい、我々は性格が驚くほどよく似ていた。自分の人生に対して主体性に欠けるという点が特に。そして自分に足りないから人間に求めるものがお互いに一致していた、ということに二人して気づいてしまった。

あれよあれよという間にデートをした。朝から晩まで二人であちこちに行って、しかも彼女の誕生日だったらしい。

その男は彼女に結婚を迫られているが、結婚は別にしたくないらしい。だからと言って彼女と別れようという主体的な姿勢は見られず、多分そのまま彼女と結婚するんだろう。彼女への愛情は冷めていると私に言いながら、別れる気はないらしい。

彼女より先に私に出会っていたら私を選んだだろうと言われた瞬間、これは泥沼だと思った。主に私が一人で嵌まるだけの泥沼。

これは抜けなければいけない泥沼だ。メンヘラクソビッチにも美学くらいはある。彼女持ちに手を出さないとか。私は多分このまま行くと、間違いなく彼に手を出してしまう。巧妙に罠を張って、彼女と別れさせて私が彼を手に入れようとしてしまう。きっとそれは可能だと思うから、尚更出来ない。その男が彼女と別れる理由に私を使いたがっていることはよくわかる。私が少し泣きそうな鼻声で、結婚しないで、と彼の隣で呟くだけで良い。完全犯罪。

私が私を裏切ることだけは許されない。許されたいと叫び続ける人間が、自分のことを許せなくなったら最後に見えるのは首吊りだけだから。

 

覚悟を持って言語化してみようと思う。言霊というものをちょっと信じている私は言語化から逃げてきたけれど。

私はその男が好きだと思う。このまま行ったら好きになる、という確信があるくらいに好きだ。性欲でもない、所有欲でもない、独占欲でもなく、ごく普通に、この人を守りたい、この人に許されたい、そんな極めて普通の愛情をその男に抱きつつある。それは今まで自分が抱いたことのない種類の感情で、私がいつか手に入れたいと願っていた感情そのものだ。彼のことをクソ野郎だと思う。ただ、普段賢く善良な男が見せる狡猾さは残念ながらメンヘラクソビッチの性欲によく響く。愛情に性欲が伴いつつある。これは良くない。

だからそろそろ上手なお別れの時間を迎える必要がある。

どうやったら上手にお別れ出来るだろうか。彼が後は彼女と別れるだけで私を手に入れられると気付かないように、まかり間違っても私が別れの一端を背負わされないように。静かに、決定的に、彼から離れる必要がある。

どうしようか。一思いにセックスしてから連絡を断ってみようか、などと考えていることに気付いて、やっぱり自分はメンヘラクソビッチなんだなあとしみじみ思う水曜日。

承認欲求不全は致死的となり得るが若年女性の急性発作時に対してセックスは禁忌投与だということ

孤独に負けた。

厳然たる事実としてそうであるから、メンヘラクソビッチ(医学生)であるところの自分はこうしてブログを始めている。

こういうときにセックスが禁忌投与であるのは経験上明らかであるから、とりあえず電脳世界に導尿の如く感情を吐き出すことにしたのだけれど、自分のアドヒアランスの低さのためからこの手の治療が続いた試しはないことも、まあよくわかっている。

手っ取り早くセックスをするのが近道だと思っていた頃は、とりあえずセフレを呼び出して一発セックスしていた。確かに症状は改善した。家に帰るとよく眠れて、次の日にはケロッと学校に行っていた。

ところが重症発作時、セフレの家のベッドで事後にさめざめ泣き出してしまって以来、その手の無様を晒すのが怖くてやめた。そのセフレはそれきり切った。今は彼女がいるらしい。安穏だ。

自分は病的な寂しがり屋だ。

私は概ねの場合どうしようもなく寂しく、多くのメンヘラクソビッチがそうであるように、とりあえずセックスに走った。きっかけは忘れた。大学2年生くらいのときに付き合ったばかりの彼氏に振られてからかと思ったけど、そういえばそれより前から男の部屋に上がってセックス以外のことをしたことがない。

そもそも生来に男というもののメンタリティが嫌いであるから、男嫌いだけど男狂いという、非常によくわからない女の子に成長した。親に申し訳ないと思ったことはない。そもそも自分の男嫌いは家庭環境に由来するものだろうし、男嫌いじゃなかったら多分私は男狂いにはならなかった。普通に彼氏を作ってほのぼの彼氏とだけセックスをしていたはず。そうなるはずだった権利がある、と思うのは多分傲慢。

最近セックスはご無沙汰で、それは多分しばらく寂しくなかったからなのだと思う。多忙だと孤独でいる暇がない?

寂しくなかったら、私はセックスをせずにいられるらしい。その気付きは貴重であった。

ただ近頃、どうしようもなく寂しい。別に多忙なのに。多分男で失敗しかけているからか。恋を失う時に最も孤独を感じるのは、一体何でなんでしょうね。承認して欲しい人に承認されないという事実が女の承認欲求を育てるのだろうか。

でも、孤独の急性発作にセックスは禁忌投与なので。

だから電脳世界のどこかで、私が居ることに気づいてくれる人がいないだろうかという淡い期待で、キーボードを打っている。

そういう、孤独に対するカルテみたいなものだと思ってください。