サンタ・マリア

煙草を吸ったらくらくらした。俗に言うヤニクラってやつなのだが、久しくくらくらしてないので、なんとなく、あーーーーって気持ちになる。あーーーーー。

昨日は最後のデートだと決めて、帰ったら彼氏が出来ましたってラインをする予定で、文面まで検討して迎えに来たその人の車に乗り込んだ。氷爆を見に行って水族館に行くと言われていたので、割とあたたかい格好をしていったが昨日はわりとあたたかかったので途中ちょっと暑かった。

車の中で、メタモンのジレンマ、という話をした。メタモンのジレンマという名前は彼がつけた。

我々はメタモンである、という話。初対面でまず相手の好みと要求を把握することに始まって、その人が自分に望んでいるだろうという像を推測して、望まれる”わたし”像を演じている。望まれるわたしを推測するということは、相手が私にこういう私を望んで欲しいと願っているという願望の発露なのかもしれない、という話もした。

望まれるわたし像を、あるいは望まれたいわたし像を演じることが出来てしまうのが、ある種すべての元凶だったのかもしれない、という振り返り。人によってつく嘘を変えられる。人によってわたしを作り変えられる、私達はメタモンだった。今この瞬間に貴方は、自分が望んで欲しいと思っている像を演じているか?という懸念はお互いに多分抱いていたのだが、口には出さなかった。私は肯定されるのが怖かったからで、彼の方はどうなのか知らない。

メタモンはそうやっていくつもペルソナをつくりあげて、人によってペルソナを付け替えて、仮面に埋まって身動きが取れなくなったメタモンは思う。わたしは一体誰なのか?いつしかメタモンはペルソナを己の人格だと錯覚していく。わたし性を見失っていく。いつしかわたしの主語であった”わたし”はペルソナの主語に付け替えられ、わたしであったはずの何かの主語はペルソナによって乗っ取られてしまう。メタモンは本来の形を失って、もとに戻る方法を忘れてしまう。残るのはいびつなメタモン。以上、メタモンのジレンマ。

誰もメタモンを愛さない。あんなにも無個性ないきものを愛するひとは居ない、と彼は言った。

メタモンは誰かの擬態をやめられない。愛されるために。許されるために。愛されるためにピカチュウのふりをする。許されるためにカビゴンのふりをする。そうしていく内に自分がピカチュウかもしれないと思い、やっぱりカビゴンかもしれないと思い、結果として”わたし”を忘れてしまう。私はその話をすることで、かつてメタモンだった自分がどんな形だったかを思い出そうとしたけれど、やっぱりいびつな形でしか思い出せなかった。他人の目がほとんどないこのブログにいる私は擬態のないメタモンだと思っているけれど、結果として歪んでしまったメタモンであることに変わりはない。

他者のまなざしを疎みながら、他者のまなざしの中でしかわたしを規定できないメタモン。そうやって自分の形のいびつさを加速させながら生きていく。

それで良かったら、多分幸せだった。いびつに殺されていくわたしを見捨てることが出来たら、それを脱皮だと呼べたら、どんなに良かったか。私達はそれが出来ない。どんどんと形を変えていくメタモンの真ん中から、許されたいと叫ぶ”わたし”の声を聞いてしまう。わたしの口を塞いで、私の耳を塞いで、何かを振り切るように擬態をして生きていた。いつかわたしが息絶えて叫ぶのを止め、私の耳が廃用してその聴覚を失うことを望みながら、私以外の誰かにわたしを許して欲しいと、私の口で叫べないまま。

メタモンBこと彼は、彼女と別れたと言った。メタモンAこと私は、そうなんですか、お疲れ様でした、と言った。あの時の感情はよこしまで、嬉しくて、でもそれを嬉しいと思った私のこころを許せなくて、同じ女であるところの彼女あるいは元カノの気持ちを考えたら心底泣けて、でもそれは偽善だと思い、でも私と彼の事情を抜きにしたって一緒に泣きたい気持ちになるのは事実だと思って、そうなんですか、お疲れ様でした。わたしとペルソナの感情とごっちゃになったその感情はいびつで汚くて臭かった。

5年付き合った彼女と別れたメタモンBは抑うつだった。彼女の前でペルソナを被り続けることに疲れ、かれの叫びを無視出来なくなった、らしかった。つまりどうやらそこに至る経緯は無視するにせよ主体的に、かれ自身の意思で別れたらしかった。かれ自身の意思を他者の感情をより優先したことに対する罪悪感で抑うつだった。他者を傷つけるくらいなら自分自身が死ぬ気でいたのに、許されたい、という叫びはいよいよ大きくなり、かれ自身が死にたくないことに気付いてしまった、という次第らしい。しかしながら他者を傷つけたくないというかれ自身の意思もまたかれ自身の望みであり、そのアンビバレンスによって抑うつらしい。許されたい、とメタモンBは言った。

対して、私は非常に困った。送るはずだったラインを送る必要がなくなってしまったからだ。別に送ったって良かったのだが、わたしがそれを望んでいないことにとっくに気付いていた。彼氏出来ましたラインを送りたくないという願望は、あいつはクズだからやめておきな、あいつはサイコパスだからやめておきな、あいつは俺の同期だし色々あると気まずいからやめておきな、といった色んな人の望みを満足できない。(クズっぽいしサイコパスなのは大いに認めたいところ。)それでも許されたかった。

電脳世界のどこかに私達以外のメタモンがいたのなら。許されたいメタモンがいたのなら、返事をしてください。もうすっかり朽ち果て誰からも忘れ去られたかつてのメタモンのことを、原型を忘れてしまった現在のメタモンのいびつさをこそ、今なら愛し、許せるような気がするから。そしていつか、メタモンの真ん中で叫び続けているあなたの言葉をきかせてください。出来たらどうか、私達メタモンがもう忘れてしまったいつかの形に思いを馳せてください。私達メタモンのいびつさを愛してください。わたし達の言葉を聞いてください。私達を許してください。もしもこの電脳世界のどこかに、そんなメタモンがいたのなら。

どうかメタモンではない誰かは、もしもふとした瞬間にこんなメタモンがいたことを思い出してくれたのなら、ついでに少しだけ祈ってくれたら嬉しい。私は貴方のために祈りますから。

メタモン達は巡礼を続ける。私達だけの教会がどこかにあると信じ、私達だけの教会をこの広い世界のどこかに切望し、巡礼を続けている。