恋愛感情が持続しない

酔っ払っている時に本音に気づくことがよくある。普段自制心をフルに活用して生きている弊害かもしれない。今が丁度そんな感じ。

絶対に酔っ払ってはいけない飲み会というものがあって、私はその手の飲み会で酔っ払わないことが特技だ。私が飲み会でしたたかに酔っ払う時、それは私が許した時だけである。絶対に酔っ払ってはいけない飲み会。例えば大学の先生ばかりの飲み会とか、ほぼ初対面の男と飲む時とか。

今日はまさにそんな飲み会で、外病院で連絡先を聞かれた研修医と、その同僚かつ私の先輩である先生との飲み会で。つまり私と前者の研修医が出会うための飲み会だった。私は実に巧妙に清楚系女子の皮を被り、メンヘラクソビッチであるところの本性を隠して飲み会を終えた。得てしてその手の飲み会は家に帰った後の酔いのまわりが激しい。帰宅後にぱかぱか煙草を吸うからかもしれない。

清楚系女子の皮を被って気に入られた男とたとえ交際しても長く続かないとわかっていても、私は清楚系女子の皮を被るのを止められない。ピンクブラウンのアイシャドウでタレ目を強調し、ブラウンのマスカラでまつ毛を盛り、太宰治とミレーのオフィーリアが好きであることを隠して女性アイドルオタクなのを主張することを止められない。ここにマニアックな趣味を追加すると尚更男ウケが良いから、恥ずかしそうにこっそり、といった風に銃器マニアなのもちょっと披露したりもする。多分その方がセックスの間口が広いからなんだと思う。私はセックスではなく男に好かれることそれ自体に依存しているのかもしれない。これもまた承認欲求の歪んだ発露。

だからこそ、私の部屋の本棚を見てそのラインナップを指摘してくれて、太宰治が好きだといった私のことを、本を読んで教養のある女が好きだと言って許してくれたクソ野郎を好きでいることを止められない。クソ野郎は古典絵画を鑑賞するのが苦手らしい。鑑賞に正解があると思ってしまうかららしい。正解を求めてしまうのは5年付き合った彼女と迂闊に別れられないところによく現れている。

で、酔っ払っているほど自分の欲求が素直に意識出来るという話。

やっぱり私はクソ野郎が主体的に彼女と別れ、自分の所に来てくれることを心のどこかで期待している。期待なんてするだけ無駄なのにね。だから私は近いうちに彼氏が出来たと彼に言ってみるつもりでいる。嫉妬させるためではなく、今後二度と二人で会うという事象を封殺するためだけに。

ボヘミアン・ラプソディのレイトショーを観に行きたかったし、キングダムハーツを二人でやりたかったし、スノボも行きたかったし、桜を見に連れて行って欲しかった。二人で人生の正解を探してみる作業をしてみたかった。彼といつかやりたい、いつかやろうと話した全部はもはや夢物語だ。

そんな処女っぽい願望を全部ぶん投げて、私はまた恋を1つ捨てるらしい。男の趣味が悪いのはメンヘラクソビッチらしいのか何なのか。

でも酔っ払っているから、私の処女っぽい願望を全部なんのしがらみもなく叶えられるはずなのに放棄している彼の彼女の贅沢を僻んでしまったりもするのであった。

どうせこんな感情もそのうち思い出せなくなってしまうことが、多分一番悲しい。メンヘラクソビッチは薄情だ。

でもやっぱり今この瞬間、私はクソ野郎のことが好きらしい。金曜日の深夜に金曜日は孤独だ、と言ったら、次の朝に予定があるのに星を見に連れて行ってくれた。流れ星が3つ見えた。その時に抱いた感情が幸福だったと、それが幸福以外の何物でもなかったと認めさせて欲しい。本当に心がどきどきしたの。それを認めちゃいけないとすぐにわかったけれど。

今日だけは失くすはずの恋を思ってちょっと泣かせてもらいたい。どうせ誰にも悼まれない恋心を、失くせばそれを褒められる恋心を、一人で埋葬する作業を誰かに許されたい。

先生お願い、私以外の女と結婚なんかしないで。

どうせこの感情さえ流星みたいに消えてしまう。